サレ妻大離婚記 第23話
実録存在自体が支援

前回、浮気は「妄想」、新山さんの無礼の原因はわたしの「表情」、ねこと子どもは「誘拐」と、すべてをこちらのせいにしていく夫のことを書きました。
話はお金のことに。しかしここでも、返ってくるのは答えではありませんでした。
「支援を続ける」






支援。言葉自体はやさしい響きです。




実家にいることが支援。でも、わたしと子どもをここに置いて、金銭的にも実際にも生活を支えてくれているのは、夫ではなくわたしの両親です。両親に生活費すら渡していません。


「お前は、何ができてる?」
責めているわけではありませんでした。ただ、意図がわからないから聞きました。そのことも伝えました。


そもそも渡してないけど。
夫は、いつもこうでした。「自分は貢献感をもって、粛々とできることをするだけ」と言いながら、その口で、わたしを問い詰めるのです。

夫が口にした“支援”について聞いているのに、いつのまにか、“何もできていないお前”の話になる。
「存在自体が、支援」
しばらくして、夫は、こう送ってきました。

つまり、お前は稼いでいないだろう、責任を果たしていないだろう、そんなお前を俺は許してやっているんだぞ、ということか。
ここで驚きの事実をひとつ。わたしが仕事を辞めることになるまで、夫は、家賃も光熱費も食費も、引っ越し費用すらも、一切の生活費をわたしに依存し、なんならわたしの扶養に入っていました。

「支援し続ける」と書いてあったから、何か具体的な中身があるのだと思っていました。でも、ふたを開けてみれば、「心ゆくまでそこにいていいよ、俺はひとりでやっていくから」。ただ、それだけでした。
払うべきお金は、「施し」。義務は、やさしい言葉にくるまれて「恩」に変わり押し付けられました。
名ばかりの「支援」
別居してからも、位置情報の共有は続ける、やましいことはないのだから好きなだけ見ればいい、そういう話になっていました。県外の実家にいるわたしにとって、夫自身が“好き勝手はできない”と抑制するための歯止め、という意味でも頼みの綱でした。


返事は、ありませんでした。
その夜、ねこの様子を聞いたわたしに、夫が送ってきた最後の一言は、これでした。

支援という、言葉
約束は「不可能」に。払うべきお金は「施し」に。わたしの安心は「嫌いなこと」。そして、わたしの存在そのものが「子どもの支援」だと、夫は言いました。
何を聞いても、返ってくるのは都合よく並べ替えられた言葉と、「悪いのはお前だ」という、結論だけ。
わたしと子どもは、この人にとっていったい何なのだろう。その問いを抱え、次回に続きます。